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fld_lock.gif 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/01 08:46
投稿者 おっきぃ
参照先 http://okkie.hp.infoseek.co.jp/
~リウマチ患者含め「障害者」という言葉に対して~

いきなり「ムズカシイ」テーマかもしれませんが、お気楽に考えてみてください(^^)。
りうまちさんのなかには、障害者手帳を持っている人、持ってない人、色々いると思います。
その両側から、「障害者」に代わる言葉を考えてみませんか?
何も、ここで決めたものを使いましょう!と押し付けるものではなく、「こうは呼ばれたくないよね」「こんな呼び名ならむしろかっこよくない?」という感じでいろいろアイディアを出したら楽しいかなぁ、と思っています。
また、「現在使われてるのでいいんじゃない?」という意見でもOK。いろんな意見があって当然と思いますので。

私は8月末まで、肢体不自由の養護学校に勤めていました。
そこの子どもたちはやはり「障害者」という言葉にとても敏感で、職員としてもできるだけ使わないようにしたり、「障害者」に変わる、彼らを表現する、よい表現はないものかと現在も考えているところです。
でも、こういうのって、いわゆる「健常者側」から考えてばかりではやっぱり同じかなぁ、と。
じゃあ、せっかくだからリウマチ仲間さんの力を借りてみようかな、と。

現在は例えば「障害者」ではなく「障碍者」や「障がい者」とする表現、「ハンディキャップト・パーソン」や「チャレンジド」という表現があります。今は、「チャレンジド」が一番新しく、ポジティブな表現なようですが。
でも、若い人ならわかるけれど、万人にわかるのかというと??という気も・・・。でもゆくゆく私たちが年をとると考えれば、「チャレンジ」という言葉はわかるのだからわかるかな?

私としては、日本語で、子どもでもお年よりでもわかって、なおかつ障害を持つ人たちが「私たちをこう呼んでほしい!」といえるようなものができたら素敵だなぁ、と思っています。

楽しく、楽しく、ちょっとだけまじめに、考えてみませんか?
< 123>
件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/04 21:48
投稿者 あいあい
参照先
むつかしすぎー。ううん。アイデアはないです。
スンマセン。

私が嫌いなのは、障害を乗り越えて、こんなすばらしい職にありついた!みたいな類のホンかな。本人にとっては素晴らしいんだけど・・・

障害者という言葉の影にある、その「コトバを発するヒトの”気持ち”」が、一番問題なんでは?
めくらが、盲目になっても、そのコトバを使う人がなんか変なことを思っていたら、変わりない。

ところで、メガネをかけているのは、あれ、ハンディキャップですよね。普通の人と違いますよね、でも多数いるから、平気なんだよね。

ほんとは、精神、体とともに完璧に健康って言う人は滅多にいないと思うんですよね。誰だって病気の一つくらい抱えてるかもしれないし、精神的に完璧、なんてヒト、滅多にいないと思う。だから、おおかれ少なかれ、社会の人は皆精神患者・・・ということを書いた作家もいますよ。つくりものだけれど、なんか、個人的には納得しちゃった。

うーん、これではどう見ても、障害のたいへんさをわかっていない健常ものの書き込みと思われても仕方ないです・・・ううん・・・でも、分けるのはいやね。社会が、まるごと同じレベルの気もちだといいんだけど。もしハンコおされたら、ハンディキャップです、って、世間に言いまくって、こういう人もいる、と宣伝したいです、私は。

今回は、指2本使えない状況で・・・キーが滑ってたらごめんなさい。
りうまちっく・ガールのつぎは、りうまちっくおばさんしかないかな?

ちょっと書き捨て気味でごめんなさい。

件名 考えれば考えるほど
投稿日 : 2004/09/05 00:01
投稿者 おっきぃ
参照先
「この表現はよくないのではないか」と考えれば考えるほど、どの表現も良くないのでは・・・と行き詰まりそうになりますね(--;。
それは、結局「分ける」表現を「差別している」と捕らえる考え方を、私がしているからだと思うのですが。

「どんな表現であっても、その言葉を発する人の心の裏に差別の思いがあったら・・・」というのは、同感です。

ただ、そこから複雑になってしまったものも、あります。

私が勤務していた養護学校では、私もそうでしたし、他の職員も誰一人差別的な考え方は持っていませんでした。その中でふっと口をついて出る「障害者」の言葉に、思春期の子どもたちは敏感に反応します。それが、わかるだけに、私たち職員側は、何か変わる表現(固定の名詞でなくてもいいから)はないものかとか、極力そういう表現を使うようなことを避けたりしていました。でも、避ければ避けるほど不自然になってしまうこともあったりで。

子どもたちは子どもたちで、「障害者」とは呼ばれたくない。でもだからといって代わりにどう呼んでほしいとか、どういう方法ならいいというのも具体的に思いつかないわけです。

お互い、触れられたくなかったり、だからこそ触れないようにしてきてしまう話題なだけにむずかしくて。
悪気は全くなくて発してしまう言葉で、知らないうちに相手を傷つけてしまう。

養護学校の子どもたちの場合、「受け取る側の気持ちの問題」だけではない気がしています。だから、無意識に傷つけてしまっているかもしれない立場と、過敏に反応して傷ついてしまう立場とで、最初はきついかもしれないけれど、本音で話し合うことができたらいいな・・・と思いました(これは職場のはなし)。

勤務していた学校では、トイレは全て(数少ない職員用除き)バリアフリーでした。養護学校に通う子達は、その中で育っていきます。でも、外に出れば、いつも自分たちが当たり前のように使うトイレは、そこだけ分けられ「障害者用」なんていうレッテルが貼られている・・・。
そういう気持ちもあるのかもしれません。

反面、「障害者用」と銘打ってないと、一般の人が使ったりしていて、いざ自分がすぐ使いたいときに使えない、一般の人はどのトイレでも使えるのに。という意見も聞いたりします。

当たり前のことですが、なんらかの不自由を持っていても当たり前のように街に出られて、当たり前のように仕事をしてお金を稼げて、自分が足りないものは自分でカバーできる・・・そういう社会になったら、行政的に区別しなければならない「障害者」という表現も必要なくなるのかもしれませんね。
件名 りうまちっく・ガールの次は
投稿日 : 2004/09/05 00:07
投稿者 おっきぃ
参照先
眠いので書きそびれてしまいました(^^;

りうまちっく・ガールの次は私の中では「りうまちっくマダム」や「りうまちっくセレブ」なんてありかな~、と思ったりしています(笑)
件名 多目的トイレ
投稿日 : 2004/09/05 09:35
投稿者 ひとしずく
参照先
「障害者用トイレ」の話題が出ていますが、最近は「多目的トイレ」という風な表示が出ていることがあります。私はあのトイレの構造や呼び変えには、賛成です。

何年か前のことですが、駅で女子トイレが長蛇の列で、一般トイレは和式しかない事を知っていた私は、列を横切って「障害者用」を使いました。用を足している間、外で話している声が聞こえました。
「あら、このトイレ車椅子の人が使うんじゃないの?」「今の人(歩いているのに)入ったわよ。」「ねぇ、私達もこっちに入ろう。」…用を済ませてドアを開けたとき、列に並んでいた人達から一斉に視線の集中砲火を浴びました。「足に変形があって障害手帳も持ってるぞ~!(何にも自慢にならないが)」と言いたかったけど、「すんません、足が痛いもので。」と言いながらその場を出ました。

先日から、おっきぃさんが出会った子供達と私が感じてる「障害者」に対する語感の差は何だろうと考えてました。私は「障害者」と呼ばれることで、リウマチに対して一種の居直りが出来たこと・手帳に伴う医療費の免除で、家族に気兼ねなく治療が出来ることなど、メリットの部分がいくつかあるからだと思います。
子供は最初から「障害者」という言葉に嫌悪感があるからでなく、家族やまわりの大人達の、その言葉の使いようによって蓄積されてきたものでしょうね。

私が発病した十代の頃、医師が「障害者手帳の手続きをしましょうか?」と言ったのですが、父は即断りました。自分の子供に「障害者」のラベルはイヤだったのだと思います。役所で働いていたので、優遇措置などは知っていたのですが。
そのすぐ後、父も病気になり収入が減り、母は私の入院費が嵩むことなど常に愚痴っていました。それは私にとって大きな圧力でした。だから、今「障害手帳」で医療費がかからないことは、大きなメリットになっています。

思春期の子供の心は、特にデリケートですからおっきぃさん達のご苦労が想像できますが、それより小さい子供さんは、周りの大人を見習う面が大きいと思います。大人の潜在意識をも否応なく引っ張り出して来ちゃうと思います。
件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/06 17:55
投稿者 kaya
参照先
たびたびです。
なんか同じことばっかし言ってしまいそうですが、

世の中は平等といっても、社会的には平等なんて何処にもありません。

男と女、親と子、教師と生徒、上司と部下、大人と子供、ここで言う健常者と障害者…力の強弱はいたるところにあります。
問題は力の強い側の人間が、あるいは数の多い側の論理が弱い側の、命を、心を冒涜しないこと…

確かに無知ゆえの失言では済まされない、受けた側には理不尽な暴力としか思えない、そんな言葉も世の中にたくさんある。
でも、少しでも知性のある人なら、きっと使わないか、使う前に考えるか、まず相手を傷つけないって事を一番に置くと思う。

私やっぱし、愛のない人に何かを訴えるのは無理だと思う…




件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/07 07:42
投稿者 kaya
参照先
付けたし
あまり同じことばっかり言っても、歩み寄りがないと思うので…

先にも書きましたが義妹は知的障害で、彼女を20年見てきて思うのは、本来の性格が前面にあって、周りと折り合うことができないということ、学習するということができないので、実際、社会生活は困難です。

そこで、困難な人、からハードパースンはどうですか?
リウマッチャーも障害者も漏れなく拾えて、適当にあいまいで、私のように言葉の細分化差別化からは逆説的に外れていってしまうと感じる人間にはこれが精一杯、ほんとイッパイイッパイです。
件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/09 16:45
投稿者 kaya
参照先
再度つけたし
気になって仕事が手につかないので

残念ながら、弱者に対して無頓着な人って
この世にいくらかの割合でかはいると思うんです。
その割合ってきっと減らないんじゃないかな、と。
思春期にそんな人間と出会ってしまったら、心の傷って一生消えない。
だから周りにいる大人が子供を守ってあげなくちゃいけないんだけど、守りきれなかった時の無念さってたまらない…

子供が不登校になった時、担任教師に言葉の暴力があった事、責めてるんじゃない、反省してほしかっただけ、でも彼は最後まで、自分の保身と、開き直りの姿勢変えなかった。
大人はいいの、反省すればやり直すってことができるから、でも子供はそうじゃない、大人の都合を押し付けられて理不尽な思いをしたこと、自分の子供時代を考えたってきっとあったはず。

言葉に込めた人の仕業を、言葉を変えることで防ぎきることはできないし、反対にいくら言葉を変えても、そのこめられた思いに過敏に反応する人間はいる。
別に無意味だといってるんじゃないの、自分にしっくり来る言い方が見つけられてそこに自分の居場所見つけられるなら…そういう人には必要なことだし、
でも私、リウマチ患者という誤解と偏見に満ちた言葉の中にそっと自分を潜ませておくほうがすき!
それで、もし誰かが自分のほうを向いてくれて、見つけてくれたなら、そっと出て行って友達になる。

私解りにくいものや、数の少ないものがすきなんです。
それと私障害者という言葉に悪意を持った人に出会ったことがないんですね。
特に鈍感な人間でもないし、鈍感な環境でもないんですけど、だから、おっきぃさんとの温度差がどうにもつかめなくて、ちょっと困ってます。
件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/10 06:54
投稿者 kaya
参照先
再再度つけたし
ある事に気づいたので

私たち大人は、リウマッチャーであれ障害者であれ、こう呼んでほしいあるいはこう呼ばれたくないと訴えることそして拒むことができます。
その私たちと、拒めない訴えることのできない力の弱い人たち、子供たち、の事を同じところで考えるのはいけないんじゃないか、切り離すべきではないか、そう思うんです。

どんなに思いやりを持った言葉でも、人が使う限り、アンフェアな関係である限り、そこには思い上がりととられるものが含まれる事、その自覚が必要です。

リウマチック…の遊びは遊びとして楽しむ事にして、障害者の呼び名は、社会的便宜上のくくりとしてあまり神経質にならずとも…いえ、ほんとにいい呼び名があれば別ですけど、

ここんとこ、ここから離れられなくて、多分私一番神経質になってる?早く離れたい~!

件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/10 17:25
投稿者 あいあい
参照先
kayaさんも、おっきいさんも、ふたりとも優しくて、悩んでいるみたい・・・・

ふと思ってしまったけれど、単に「病人」といわれる場合でも、そこに侮蔑がこめられている時ってありませんか?

またまたテーマの答えになっていない・・・
件名 Re: 2004年9月 「私たちをこう呼んでください!」
投稿日 : 2004/09/10 18:00
投稿者 ゆうちゃんまま
参照先
はじめまして
RA歴10年3歳児のままです
健康とは身体的にも精神的にも社会的にも健康?な人をいうそうです
もしも、体の一部がない人はずーと不健康です。
そうなってしまいますよね
それに、私はRAだけど、最近医療費の増加にともなって
障害者の手帳をもらいましたが、自分が障害者だとはおもっていません。
RA患者とおもうのは、病院に診察に行ったときだけです。
私たちをこう呼んで!って難しいけど、私たちは私たちなんではないでしょうか?
障害にも、RAにも状態はさまざまで、、、
難しいですね
なんとなく一言
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